2013年7月21日(日)春日部〜杉戸

Exif_JPEG_PICTURE5回目の細道紀行は7月21日(日)。この日は参議院選挙の日だった。地元で投票をすませてから電車でスタート地点の春日部駅に向かう。春日部といえばスピッツの名曲『ロビンソン』でもおなじみのロビンソン百貨店…いまは西部春日部店になってるけど。それはともかくこの日も真夏日。水分補給を欠かさないようにして、では参るとしよう。

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春日部駅前には旧映画館通りというのがあって、レトロな映画看板が展示されている。邦画なら『キューポラのある街』『羅生門』『カルメン故郷に帰る』、洋画なら『禁じられた遊び』『太陽がいっぱい』『街の灯』…ちょっと微妙なのもあるけど、もともと映画看板の絵って微妙だからね。

歩道のわきに「久代おばちゃんと作る!摘みたてラベンダー香り袋」というポスター発見。誰だよ、久代おばちゃん。そして「同時開催 コシヒカリ両手ですくい取り大会」。香り袋とコシヒカリの関係はなんなのだ。あるいは久代様がコシヒカリすくい取りのディフェンディング・チャンピオンなのか。謎は深まるばかりである。

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大落古利根川を渡る。今日はできるだけ会う人に声をかけよう、そう心に決めた。前回、出発点の越谷あたりはともかく、後半ずっと黙々と歩いているだけだったからな。せっかくのひとり旅だ。たまたま出会ったひとの昔話や世間話に相槌をうってみたい。

てなこと考えながら歩いていると、道路沿いの家の前で菊の手入れをしている男性がいた。ここはひとつ「ぶらり途中下車の旅」のノリで話かけてみよう。「こんちはー」麦わら帽子にTシャツ姿のおじさん。よかった、優しそうだ。

今年74歳。サラリーマンを定年退職して、今は奥さんとふたり暮らしらしい。庭いじりが好きで、菊の栽培は50代のころからかれこれ20年やっている。ひとつの鉢に花は三つ。「三つの花の高さをそろえて開かせるのが難しいんだよ」しかもちょうど11月3日の文化の日に開花させるんだとか。凄いっすね。俺は東北まで歩いて行く途中なんですよ、と話すと、おじさんは家のなかにいる奥さんに声をかけた。「おーい、缶コーヒーあったろ」ありがとうございます! 缶コーヒー1本いただいた。

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まわりを見渡すと、庭には立派な鯉の池があり、手入れされた松があり、石灯籠があり、大きなサボテンがあり…。おじさんかなり凝り性だな。そうしている間も葉を手入れする手は動かしている。菊に目を向けたまま「親に迷惑かけてるんじゃないか?」いや、迷惑はかけてないけど、去年仕事を辞めたのでちょっと心苦しいです。すみません。

お礼を言って旧日光街道をさらに進む。早くもお昼になっていたので、昼飯にしたいのだが、店がありそうな雰囲気ではない。困ったなと思っていたら、前の方から『Dr.スランプ』のアラレちゃんが歩いて来た。ロングヘアーに太ぶちメガネ、そしてサロペット。あの、則巻アラレさんですよね?

「んちゃ!」「このあたりでランチできる店あります?」「ガストくらいしかないよ。うほほーい」

嘘です。

でもガストくらいしかないのは本当。そしてアラレ似の彼女がその店に行こうとしていたのも本当。じゃあ、よかったらご一緒してもらえません?「友達と待ち合わせてるので、あとで合流するけどいいですか?」もちろん! そんな成り行きで、ふたりでガストへ。『ぶらり途中下車の旅』というより『鶴瓶の家族に乾杯!』みたいになってきた。

春日部のアラレ嬢は18歳で、近くの自動車教習所に通っている。いま仮免。ちょうどお昼休みで、午後にも教習があるんだとか。自然と車の話になった。俺はワーゲンミニバスに乗っているのだけど、ちょっとうらやましがられた。へへっ。「ミニバスに乗りたいけど、軽を改造したやつでもいいかな」昔、草加の中古車屋に置いてあったのを見て以来、乗りたいと思ってるらしい。想像してみたら、アラレちゃんとミニバスのデザインってめちゃんこ似合うんじゃない? 鳥山明先生が既に描いていそうなくらい。

そうこうしているうちに、アラレ嬢の友人がガストに到着。アラレ母の車に送ってもらったんだとか。お、お母様、すみません。けして怪しい者ではない…とも言いきれないか。あとで聞けば、お父さんは俺と同い年らしい。意味なくちょっとへこんだ。

2013-07-21 13.18.34アラレちゃんもキュートだが、友人は安めぐみにちょい似の美人であった。高校時代の卓球部仲間だそうだ。昼ご飯つきあってくれてありがとね。

アラレ&めぐみと別れて、国道4号線を延々と歩く。杉戸市に入ったあたりに、地球のカタチのモニュメントがあった。「すきすきすぎーと36」…北緯36度線が通ってることを表してるらしいが、何とかならんかったんかい、ネーミング。

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2013年7月12日(金)越谷〜春日部

県道52号に戻ってさらに歩く。商店の店先に提灯が架けられている。八坂神社の祭が近いらしい。そしてこのあたりにもせんべい屋さんがちらほら。自宅の軒先で焼いてるような店もあって、草加より庶民的な感じ。1枚60円か。「草加よりこっちのほうが美味しいよ!」と店のおばちゃん。

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北越谷駅を過ぎ、宮内庁の埼玉鴨場の前を通ってさらに北上。「下間久里の獅子舞」のポスターを見かけた。埼玉県指定無形民俗文化財だそうだ。ただしこの獅子舞は江戸の獅子舞とはずいぶ ん違う。二人一組ではなく、ひとりで獅子頭をつけ、腰のあたり締め太鼓を構え、立って舞うらしい。つまり岩手や宮城の鹿踊りに近い。すでに東北の入口に来てるのかも…という気がしてきた。

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「だるま産業」や「だるま弁当」の看板もある。産地なのかなあ。武里駅近くまで来ると、今度は「やったり踊り」の立て看板。こちらも埼玉県無形文化財だそうだ。しかも明日が「やったり踊り」のまさに本番らしく、交通規制の案内がされている。ちょっと見たかったな。気になったので、あとでググってみたら「念仏踊りの一種で、隣村との争いに勝利した喜びの踊りが由来」らしい。「ヤッタリ ヤッタリ ヤッタリナー」というかけ声とともに踊る…え? それって往年の傑作アニメ『ヤッターマン』勝利のポーズのルーツちゃうん?「ヤッター!ヤッター!ヤッターマーン」ってやつ…と、半ば冗談のつもりでYouTubeで確かめてみたら、ガニ股で踊るところまで一緒だった。マジかよ。

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歩き過ぎたせいか、不意にクラっとし始めた。まずい。これが世に言う熱射病ってやつですかね。あわてて県道沿いのガストに緊急避難する。ちなみにこの日、埼玉の最高気温36℃。夏の外歩きは気をつけないとね…。

そんなこんなで春日部駅に到着。ここにも神輿が並んでいる。埼玉が誇る伝統文化にうち震えた一日であった。

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2013年7月12日(金)越谷

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4日目は7月12日(金)。越谷駅前からスタートして県道52号を歩いていく。空はピーカン。なんつう暑さだ。道沿いの軒に干してあるスニーカーもあっという間に乾きそう。

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旧街道沿いだけあって、並んでいる商店も年季はいっていそうな建物が多い。そんななかで「夢空感」と書かれた看板を掲げた建物に出くわした。越谷市商工会が運営しているスペースらしい。なかに入るとNPO法人「越谷市郷土研究会」の事務所があった。カワバタさんという白髪の紳士が町の歴史などを教えてくれる。ん、なんですか? この畳針やらトングやら金属製の毛抜きやらは? どうやら地元の金物屋さんなどで扱っている道具を展示しているらしい。越谷は金物の町でもあるのかな。「こけら落し」という道具があるのね。初めて知った。

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カワバタさんに近所で食事できそうな店をきくと「この辺だとホウライ、かなあ…」とのこと。なるほど「夢空感」から目と鼻の先に「中華料理 宝来」があった。先客のおじさん3人、冷やし中華をつまみにビール飲んでらっしゃる。常連さんらしい。おひとりはご近所のバイクショップの会長さん。震災後、石巻から雄勝、女川、牡鹿半島方面をバイクボランティアに出かけた話を聞かせてくれた。実は俺も震災後、石巻に縁ができてしょっちゅう通っているので、よくわかる。越谷で石巻地方の話をうかがうというのも、これまた縁だな。

この店の息子さんは木瀬乃若という四股名の力士だそうで。3人の常連さん口を揃えて「応援してんだよ」と嬉しそう。昔ながらのラーメン半チャンで腹ごしらえもできたし、先を急ぎますか。

越谷本町の交差点を過ぎ、元荒川を越える。「越谷市郷土研究会」で教えてもらった「久伊豆神社」というのを思い出し行ってみることに。「ひさいずじんじゃ」なのだが、「くいずじんんじゃ」と読めることからバラエティ番組で取り上げられることもあるとか。

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鳥居のところまでくると、まっすぐな石畳の参道がずいーっと奥まで続いている。これは由緒正しそうだ。杉やヒノキの緑の下をくぐって本殿まで着くと、ん?なんだ? 狛犬の足が藁のようなものでぐるぐる巻きにされている。説明書きによれば、「足止めの狛犬」というらしい。家出や悪所通いする者に対して、家族が狛犬の足を縄で結ぶと、必ず帰ってくると言われているのだそうだ。

神社に来ると必ずすること、それは絵馬チェック! いや私の趣味ですが。男ふたり女ふたりの4人で書いたとおぼしき1枚があった。ケチるなよ!いや4人がバンド組んでいて、メジャーデュー祈願とかならわかるが。男1「彼女下さい」男2「リア充になれますように」おいおい。てことはダブルデートって訳でもないのか。女子ふたりと神社来て臆面もなくこんなこと書いてるってのは超絶チャラ男か超絶ダメ男かどっちだ。女子ふたりが「良い看護師になれますように」「みんなHappyに」と健気だけに泣けてくる。いろんな意味で。

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2013年6月10日(月)草加〜越谷

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3回目の「俺の細道」は6月10日(月)。草加駅前には草加せんべいの伝説上の創始者「おせんさん」の銅像がある。伝説のSENBEIマスターってわけか。「今様草加宿」なんて看板もあって、日光街道の宿場町ってのをアピールしている。その日光街道はいまの県道49号線とほぼ同じ。とにかく北を目指そう。

ちょうど紫陽花が満開の季節。あわい紫のこんもりした花の下には、ドクダミの白い花がこぼれるように咲いている。

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「手造りお惣菜 さかまき」という大きな黄色い看板がみえてきた。お惣菜をチョイスして弁当にしてもらえるらしい。ちょうどいいや。ちょっと早いけど腹ごしらえしよう。近くの公園のあずまやで、近所の工事のおっちゃんたちが休憩してる。その片隅にちょっと入らせてもらってランチタイム。

神明町の交差点のちょっと手前には、芭蕉さんの相方、曽良さんがピンで銅像になってる。これはちょっと珍しい。その先には札場河岸公園。木で出来た望楼があるので登ってみる。なにが見えるんでしょ。えー、あー、うん。草加の町がよくみえるね。

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ここから先しばらく、綾瀬川沿いに松林が続いていて、大名行列でも通りそうな雰囲気。芭蕉曽良コンビが歩いたころもこんな感じだったのかしらん。いい風情だなと思いきや、東京外環道の下をくぐった辺りでは一気に川の水がどよーんと灰色に泡立っていた。いくらなんでも汚れ過ぎじゃないだろか。江戸から平成に一気に引き戻される。悲しい。

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橋をわたって越谷市に入る。遠くに「日本エレベーター製造」と書かれた赤白のタワーが見えている。ちょうど下校時刻らしく、小学生とちょくちょくすれ違う。男子ふたり組が、女子ふたり組を走って追い越しながら「ばーか!ばーか!」と大声出していった。嗚呼。あの女の子のうちどっちかを好きなのかねえ。いつの時代も男子のやるこたあ同じ。わかるよ坊主。

県道をひたすら歩く。日が傾き、雲も出てきた。しぼみかけた植え込みのツツジ。等間隔にならんだ鉄塔。「ホテルオークラ」と書いてあるがどうみてもラブホだろうという感じの紫の看板…。

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16時半、越谷駅前に到着した。ん? なんだか見覚えのある看板だなと思ったら、俺の地元・門前仲町にある和菓子の老舗「深川 伊勢屋」じゃあござんせんか。こちらにもお店があったのね。思わず団子をひと串いただいて、ホッとしたところでこの日は終了。

うん。がんばろう、俺も。

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2013年5月18日(土)梅島〜草加

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足立区に入り、梅島駅前を過ぎたあたりで「ベルモント公園」という看板をみつけた。オーストラリア・ベルモント市との友好親善のシンボルとして作られた公園なのね。なるほどそれで芝生に羊さんの銅像が芝生のあちこちにいるわけか。園内はちょうど薔薇が満開。ホッとひと息つく。同時に「公園の放射線対策」と書かれた張り紙に、否応なくいまの日本を感じたりもする。

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梅島から竹の塚に進むにつれ、昭和な空気がただよってきた。たとえば食堂の店先では、食品サンプルのナポリタンを巻き付けたフォークが宙に浮いてる。ホビーショップにはガンプラと鉄道模型の箱が積み上がっている。駄菓子屋「ひばり」の名物は「元祖たこせん」だそうだ。たこ焼きをえびせんで挟んだもの。食べてみた。たこ焼きとえびせんの味がした。駄菓子屋の店先にはベンチがあって、小学生がたむろしてる。和むわあ。

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きわめつけは町の本屋さん。店頭の日覆いは年季が入りまくり、日に焼けて変色してるばかりかかなり大胆に破れてる。店番してるのはお約束どおり、ちんまりしたおばあちゃん。雑誌がいくつか並んでるほかは、店の半分がエロ本…。思わず『別マ』最新号を買って、ばあちゃんと立ち話。息子夫婦の話だのなんだの、結果的に小一時間、ばあちゃんの四方山話を聞くことになったのであった。気がつけば、傾きかけた黄色い日差しが並んだ本のうえに差し込んできてら。このまま話し込んでるわけにもいかない。立ち去るのがなんだか申しわけない気持ちになりつつも店を出た。

本屋さんからしばらく行ったあたりで、リヤカーを水洗いしてるおじさんに会う。

え、これってもしかして魚の行商ですか? 「最近はこの辺でもみんなスーパーに行くけどね。そこはそれ、買ってくれる人はいるもんだよ」にやっと笑う。そうなのか。リヤカーの魚屋さんって、幼稚園のころに見かけたきりだったわ。懐かしい。

いい加減、足もつらくなってきた。草加駅まできたところで日が暮れた。よし、とりあえず埼玉県に入ったぞ。

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2013年5月18日(土)南千住〜荒川

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この日、まずは地下鉄で南千住駅へ。すぐ隣りにはJR貨物の隅田川駅というのがある。プラットホームのない、貨物専用のターミナル。歩道橋の上からその全景が見渡せるんだけど、なんとも男子心くすぐられまくる景色だ。トレンチコート着て引き込み線の上を走って、70年代刑事ドラマごっこしたいわ。

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ぷらぷら行くと「『巨人のお酒』が買えるお店です」という張り紙が目についた。町田屋森谷酒店で買えるその酒は、巨人軍公認清酒「不滅の巨人」。店で扱っているのは東京でも珍しいとか。ほほう。店の近くには素盞雄神社・天王祭のポスターがあった。「ここの神輿は横棒がなくてが花棒二本だけだからね! 三社祭よりすごいよ!」店のおばちゃんが力説してくれる。

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さすが下町、食堂の表に貼られたメニューも安い。もつ煮込み170円。サバ味噌煮210円かあ。腹へってきたな、と思いながら千住大橋を渡ると、そこに「奥の細道 矢立初めの地」という石碑がある。芭蕉先輩と曽良先輩はここで船を降りて歩きはじめたのね。そっか、私も深川あたりからここまで水上バスに乗ってくりゃあよかった…。

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芭蕉さんはここで「前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそそぐ」と記したわけですが、胸より腹が減ってたので足立市場内の食堂へ。

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鶏の生姜焼き定食でしっかり腹ごしらえして、いよいよ日光街道の入口。このあたりは昔からやっちゃ場(青物市場)だったとか。観光案内板なども出ていて、『歴史街道』とか好きそうなおじさんたちが散策に来てる。「千住宿歴史プチテラス」という案内所では、日光街道を歩いたことがあるというガイド役のおじさんが「千住、草加、越ヶ谷、粕壁…」宿場の名をさらさらと暗唱してくれました。さらにまっつぐ歩きますってえと、やがて北千住。「千住 旅の駅」という休憩所にはかつての「おばけ煙突」の写真が飾ってある。『こち亀』にも登場した、千住火力発電所の煙突ですな。

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「かどや」で買った槍かけだんごを食べつつさらに行くと、土手に突き当たる。これぞ『金八先生』オープニングで有名になった荒川河川敷。くれーなずむー♪と口ずさみながら千住新橋を渡っていたら警官がチャリで追い越していくもんだから、大森巡査かと思った。

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2013年5月17日(金)両国〜南千住

両国国技館が見えてきた。

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五月場所開催中で、勘亭流の文字も鮮やかなのぼりがはためいている。さらに行くと、横網町公園。ここには東京都慰霊堂がある。三重塔に関東大震災の遭難者、東京大空襲などの犠牲者のご遺骨が安置されている。

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講堂に入り、手を合わせた。

公園の奥には復興記念館がある。館内はしん、としていた。ケースに陳列されているのは、大震災による猛火や熱風で溶けた金属類。「デマにまどわされないように」という警視庁の張り紙も展示してある。そもそも横網町公園は陸軍被服廠の跡地で、火災旋風が起こって多くの犠牲が出たところだ。

外に出ると、講堂の入口あたりに小学生男子がたむろしてる。近所の子らかな。遊戯王カードやってるのもいるし、かばんを放り出して鬼ごっこしてる奴らもいる。なんだかタイムマシンでいきなり現代に戻って来たような気分だ。

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向島の桜橋を渡る。川の両岸にはブルーシートハウスが並び、その向こうにスカイツリーがそびえている。流れに沿って大きくカーブしながらひたすら歩き、南千住に着いた。ふう。芭蕉さんならここで一句詠むとこだけど、無理…足が棒。地下鉄で帰ったのでありました。

2013年5月17日(金)深川

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いい天気だ。

隅田川の遊歩道に立って、上流の方を眺める。清洲橋の青い橋梁の向こうにスカイツリーが見えてる。

このあたりでは川はだいたい南西方向に流れているから、さかのぼっていけばその逆、つまり北東に向かうことになる。この延長線上に奥の細道が、東北があるんだな。

松尾芭蕉が「奥の細道」に旅立ったのは元禄2年(1869年)旧暦の3月27日、今の暦では5月16日らしい。それから144年と1日後の2013年5月17日(金)、俺も北に向かって出発することにした。芭蕉さんを見習って徒歩で。ちなみに芭蕉先輩は当時46歳、俺44歳。年齢的にもあまり変わんないのか。そうか。

もちろん一気に東北までは行けないのでちょっとずつね。行けるところまで行って電車で戻って来て、次は前回のゴール地点まで電車で行って、そこからまた歩く…という方法でいくつもり。

そんなんで果たしてどれくらい日数かかるのか? いろいろ考えなきゃいけないこともあるような気がしたが、とりあえず勢いでスタートすることにしよう。まずはこのプロジェクトのタイトル考えた。

「俺の細道」

どや。芭蕉さんのルートを一応辿っていくつもりだけど、それ以外にも行きたいとこあるし、私の性格的に脇道それると思うから、あくまで「俺の」細道。ユルい細道。

江東区の端っこにある自宅を出て、まずは深川の芭蕉庵跡へ向かう。ここには隅田川に面したちいさな広場があって、芭蕉さんの座像がある。旅立ちの前に先輩に挨拶しとかないとね。台座が回転式で、昼間は岸のほう向いてるけど夜には隅田川を向いてライトアップされるらしい。なにそれ。メカ芭蕉?

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芭蕉庵跡のすぐとなりにはブックカフェ「そら庵」。ここのカレーやコーヒーが好きでしょっちゅうお世話になっているのだ。以前にここでポエトリーリーディング(詩の朗読)ライブをさせてもらったこともある。ということで

「いってきます!」

そら庵の斜め前にあるのが芭蕉稲荷。赤いのぼりがはためいている。しばらく歩くと芭蕉記念館があり「芭蕉そば」という立ち食いの店がある。この辺はなんでも芭蕉がらみだなあ。

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そばで腹ごしらえしたあと、清澄通りに出て南下する。仙台堀川にかかる橋のたもとにあるのが採荼庵。『奥の細道』の序文に「杉風が別墅」って出てくるところ。つまり旅の出発地だね。

ここにも芭蕉像がある。しかもなぜか縁側に腰かけていて、隣が空いてる。

「ここに座って一服していかんかね」

と言わんばかりじゃないか。じゃ、遠慮なく。そこにタイミングよく通りがかった深川ガールがいたんで、芭蕉先輩とツーショット写真を撮ってもらう。

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森下の要津寺で句碑をみて、それから隅田川沿いをひたすら北上。川沿いの遊歩道を歩くと、川面がキラッキラしてて、キラッキラのしぶきをあげて屋形船や水上バスが行き交う。今も昔も東京は水の都。

実にのどかである。

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歩いていこう、東北まで。東京・深川から東北まで、徒歩で向かうプロジェクト。ゆるゆると進むMy long and winding road の記録。