2014年1月25日(金)新治

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車のなかで夜を過ごして、翌朝。1月25日(土)9時15分。多少アタマはうすらぼんやりしてますが、ともかくも新治駅のロータリーに立つ。ふと見るとすぐそばには、標語の書かれた看板が立っている。

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いや、これはいいんです。問題はその隣りにある、筑西市が掲出しているこの看板。

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「始めの一口 うすいかな? 食べてみればいい感じ」

なんなの? 何を啓蒙する標語なの? てゆうか標語なの? どっちかというとクックパッドの見出しみたい。というわけで謎の看板に見送られつつ、本日の細道スタート。

国道50号を行く。すぐに民家はまばらになって、田んぼが広がっている。閉店したまんまのファミレスがある。さらにその隣にはこんな看板も立っている。

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全然さりげなくない。

 

さらに行くと道沿いにこんな案内板を見つけた。

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即身仏(ミイラ仏)である。これはかなり気になる。2キロの寄り道になるが、行ってみよう。国道から折れて妙法寺へ行く道に入ると、目の前には上野沼という大きな沼が広がっている。

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水に浮かんでるのは…黒鳥だ。おお、これは珍しい。実際に見るのは初めてかも。某生命保険のCMで話題にはなってるけどね。池の柵のところにおばちゃんがひとりいて、黒鳥に餌をやってる。話をきいてみますか。

「こっちに二羽、あっちにも卵あたためてるのがいるよ。この子らは一年中いるねえ。カモは渡ってくるけど」

「がーこ、がーこ」と黒鳥に声をかけるおばちゃん。

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「ひなはピヨピヨって泣くけど、この子らはカホーカホーって鳴くねぇ」

「あっちのみんなにも餌あげなきゃ」と言いながら、餌を持って去っていくおばちゃん。毎日エサやってるのかしらん?

 

田園風景のなかしばらく歩き、ちょっと迷子になりつつもなんとか妙法寺に到着。本堂をのぞくと、けっこう若そうなご住職がいる。即身仏様を見たいのですが…と声をかけると、丁寧に案内してくれた。

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まずはご本尊にお参りする。即身仏様はご本尊の向かって右側、本堂のわきの方に安置されている。なんとなく緊張して、ミイラ仏を見る前にまずは目を閉じ、手を合わせる。ゆっくりと目を開けて顔をあげてみると、いらっしゃいました、ミイラ様。目の前に。座ったまま少し前のめりになり、眼球のない目でこちらを見ておられます。

「この即身仏様は舜義上人という方で、今から約300年前に78歳で人々を救いたいと石棺に入って入定されました」

入定の前には食事を絶たれたそうで。そうして石棺に入って3年後のこと、弟子の夢枕に舜義上人があらわれ言うことには「なぜ開けてくれぬのだ」。あわてて弟子が石棺を開けてみると、立派な即身仏になっていたとか。関東では唯一の即身仏らしい。もとは座禅姿で口も閉じていたが、長年のうちに歯が落ち口が開き、前のめりになってきたんだとか。

「霊能力のある方など、このお姿を見て『あたたかいものを感じる』とおっしゃる方もおられます」

それにしても当のご住職はどうなんだろう。この寺で育ったというけど、小さい頃はミイラ様が怖かったりしなかったですか?

「怖くはなかったですね。小さい頃から当たり前のものとして暮らしていましたから。それにここは1200年前からのお寺で、即身仏様だけが特別ということではないんです」

本尊の地蔵菩薩は1200年、阿弥陀如来像は800年、本堂は将門の乱のときに燃え落ちた…と聞けば、なるほど長い歴史ある寺なのだ。その歴史の長さを思うと、即身仏様もあたりまえにある、という住職の言葉は確かに腑に落ちる感じがする。

 

 

2014年1月24日(金)小山〜新治

ディープおやじの洋品店をあとにして、さらに行く。

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しばらくするとパン屋さんを発見。「国産小麦と自家製酵母のパンとお菓子 イイパン」こういうの、めっちゃ好物ですわ。考えるより先に足が店の中へとむかう。並んでるパンを眺めるだけで頬がゆるむ。くるみ入りパンとアップルパイを買う。

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県道264号線を東に向かっていると、今度は「べえかりい木馬」という茶色い看板が。またもやふらふらと店に入る。はたから見れば、ほとんど誘蛾灯に引き寄せられる虫である。なんとこの店は真っ黒いパンが! 竹炭を練り込んであるらしい。大丈夫か? 苦かったりしないのか? 「まっくろ黒助」という名のプチ竹炭パンを買って、さっそくかぶりついてみると…おお。なんかまろやかな味だ。

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黒いパンをかじりながら歩く。昭和電工の工場を過ぎてしばらくすると、家が少なくなってきた。道沿いには、閉店したまんま空き家で残っている店鋪が目につく。ステーキハウスも雑貨屋もレストランもパチンコ屋もガソリンスタンドも…。

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和談坂というところにやってきた。大きな石碑があり、その前で熱心に眺めてるおじいさんがいる。聞けば、この和談坂のいわれを記した碑らしい。曰く、ここは小山氏と結城氏の領地のちょうど真ん中にあたる場所。小山氏と結城が兄弟喧嘩した際に、ここで和睦したんだとか。

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「石碑、きれいになったねえ。誰かが掃除してくれたんだね」

俺に聞かせたのか独り言だったのかわからない調子で、おじいさんが言う。

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すこし日が傾きかけた頃、また住宅が多くなってきた。結城市の市街地に近づいたらしい。心なしか小山より新しいような、区画整理された町並。

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結城市の観光案内所で少し休んで、また歩き出す。空が高い。今日は最初の出会いが濃密だったけど、そのあとはあまり人としゃべってないなあ、などと考えながら。

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鬼怒川をわたる。このあたりから筑西市だ。遠くにぼんやりと見えている山は筑波山だろうか。学校帰りの高校生が自転車で追い抜いて行く。

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下館の駅に向かう途中で、本日3軒目のよさげなパン屋さんをみつけた。もう閉店まぎわであまり商品が残ってなかったけど、リュバンというパイ生地のサクサクしたパンを買う。それだけでちょっと幸せな気分になれるんだから俺も安上がりだ。

その先にあったのは、本日2軒目のマネキンのある洋品店。店のおばちゃんふたり揃ってカタコトの日本語で、ラメ入りのニセピカソみたいなを服着ている。そのふたりが教えてくれたところによると、ここのマネキンは日本製ではなく、年代物でもないらしい。まだ若いのね。ただちょっと、まつ毛が落ちそうなのが気になるわ。肌ツヤはいいけどね。

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日もすっかり暮れた。下館駅近くの「お食事処 華」でフライ定食にありつく。それからもう少しだけ歩いて、隣駅の新治までたどり着いたところで、この日は終了。で、電車で小山まで戻り、停めてあった車を下館まで移動。その日は駐車場でひと晩過ごした。「俺の細道」初のお泊まりである。

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2014年1月24日(金)小山

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前回の細道紀行から2ヶ月半。年が変わって2014年の1月である。8ヶ月前に東京を出発して東北を目指したはずなのに、まだ小山である。栃木県南部である。こりゃまずい。今年はペースを上げていくぞ!と新年の誓いを胸に、小山駅前まで車で到着。

そう、今回は電車ではなく高速道路でスタート地点まで来たのであった。歩く→東京に戻る→前回の続きからまた歩く…という方法も、そろそろ大変になってきた。なんとかせねばいかん。

それはそれとして、またいつものようにのらくら歩き出す。

この小山からは、元禄のスーパータッグ芭蕉&曽良のルートを外れて、国道50号線を東へ向かうことにした。JR水戸線に平行するように、水戸方面へ向かう道である。もちろん『奥の細道』どおり日光街道を北上してもよいのだけど、福島の沿岸部、いわゆる浜通りに行ってみたいと思ったのだ。

東日本大震災のあった2011年、7月に2回だけいわき市でボランティアを経験した。それが自分の震災ボランティア初体験だったのだけど。そのとき、被災した家の片付けなどをしたのが常磐線の久ノ浜駅、末続駅の近く。あの場所をもう一度訪れてみたい。そのためにはまず太平洋岸に出ないと行けない。

とはいえ、まずは目の前の道だ。小山駅前の目抜き通りを歩く。大きな交差点があり、さて、どっちに行けばいいのやらと思いつつウロウロしていたら、すぐ近くの洋品店のショーウィンドウに釘付けになってしまった。マネキンだ。しかもかなりの年代物らしい。目はパッチリ、まつ毛もバッチリ。鼻がちょっと欠けてる。こういうリアル指向のマネキンって、近頃とんとお目にかからなくなったよなあ。

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店内をのぞくと、おじさんがひとり、椅子にどっかと腰かけて新聞を広げてる。

「すみません、マネキンの写真、撮ってもいいですか?」

おそるおそる声をかけてみたら、快諾してくれた。

「マネキン? 40年くらい使ってるよ。奥にもう一体ある」

と言いながら、もう一体を運んで来てくれて、写真を撮りやすいように置いてくれる。もともと4体あったらしい。かつてマネキンはレンタルするものだったそうで、4体で月7万。それを最後は買い取ったのだけど、2体は学校に寄付したんだとか。

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「芸大だか何だかの女の子が、マネキンを絵に描きにきたこと もあるよ」

確かに、この年季の入ったマネキンは妙にそそられる。絵にしたくなるのもわかる気がする。店内を見回すと、ほかにも年代物らしきテレビやクーラーが置いてある。

「あのテレビはカラーテレビ第1号。二十数万したんだ。月給8000円の時代だよ」

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この店「オヤマ信販」が開店したのが昭和35年というから、まさに日本のカラー本放送開始の年だ。そりゃすごい。さてはおじさん、新しもの好きですな?

「こっちクーラーはGE。80万したね」

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年季の入った昭和家電がかなりご自慢の様子。おじさんかなりノって来たらしく、いつのまにか自分の生い立ちを語りはじめた。いわゆる「昔は俺もワルだった」って話なんだけど。

「とにかく喧嘩ばかりしてたね。売ったことはない、買うばっかりで。連れがカラまれたりしてね」

ボクサーを目指し、16歳のとき後楽園に行ってプロ試験を受けた。絶対に受かると思っていた。ところが別の部屋に呼ばれ、医者から「ボクシングをやめなさい」と告げられた。心臓肥大だから駄目だ、と。

「小さい時に川で潜りすぎたのがよくなかった。あんときは泣いたよね」

タバコに火をつけながら語るおじさん。こりゃ長くなりそうだ。

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その後、親に言われて自衛隊に入隊。2年ほどのち、21歳で大手アルミニウムメーカーに就職。

「21歳で人生始まったよ」

おじさん、実はかなりのアイデアマンだったらしい。そのアルミ会社の工場で、特許とれるアイデアを3つも考えた。ところが自分のアイデアがいつも上司の手柄にされてしまう。

「3回目にとうとう頭にきて、上司の家に殴り込みに行ったらクビになった。会社のクビ第一号だよ(笑)」

その「殴り込み」に行ったという話なんだけど、ちょっとマジ過ぎて全部は書けねえっす。他にもいわゆる武勇伝が出てくるわ出てくるわ。とにかくそれで工場勤めを辞め、そのあとに勤めたのがこの小山信販というわけ。さすがに今は温和な印象だけど…。たばこをくゆらす姿がやたらと様になっているのは、人生の厚みってヤツっすかねえ。濃厚なオヤジの濃厚な半生をたっぷり小一時間ほど聞いてしまった。

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今回の道行きは、のっけからかなりディープだ。

 

2013年11月6日(木)間々田〜小山

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さらに歩いて間々田宿に着いた。ここには「逢いの榎」というのがあって、日光街道のちょうど中間点にあたる…と、教えてくれたのは佐山酒店のおばちゃん。店は築百年だそうで、木製の看板も古めかしい。店頭に飾られた酒樽には「男の酒 じゃまつり」とある。何やら力強いけど、じゃまつりって? 聞けば四百年前から伝わる間々田の奇祭。ジャガマイタともいうらしい。毎年5月5日、ワラや竹、シダなどで作った全長15メートルを超える巨大な蛇(じゃ)が七体、町中を練り歩くんだそうだ。その時のかけ声が「ジャーガマイタ、ジャガマイタ」。写真を見せてもらったけど、蛇の風貌は日本というより東南アジアな感じだ。祭の時には佐山酒店も樽酒をふるまうらしい。こりゃ実際に見てみたいもんだ。

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ジャガマイタが行われるという間々田八幡宮に行ってみた。鳥居をくぐって石段をくだって行くと、大きな池がある。境内で落ち葉を掃いていたおばちゃんに聞くと、ジャガマイタの時には担ぎ手もろとも蛇が池に飛び込むらしい。迫力ありそう。おばちゃん喋りだしたら止まらないらしく「こっちには鴨が」「あっちに鯉が」「猫が」とやたら案内してくれる。ありがとう!なんか運気が上がりそうだ。


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間々田八幡の先は千田塚。国道から一本入った道を歩く。このあたりも柿の木が多く、頭上から甘い香りが降ってくるようだ。

「柿の当たり年だからね、今年は。でもみんな食べないから勿体ないよ。みんな鳥が食べちゃう」と教えてくれたのは道沿いの家のおじいちゃん。ずっと千田塚に住んでいるらしい。「この辺もずいぶん開けたよ…うちと向かいの家と、二軒しかなかったのに…古墳もあったけど畑にしちゃった。これからどうなるのやら…」東京者の私には、それでもやっぱりのどかに見えるのだけど。

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マンホールのふたを交換している人たちがいた。ふたをよく見ると、三頭の馬がデザインされたモダンなデザイン。珍しいですね。「馬頭観音からきているのかな」と、作業着姿の職員さんが自説を披露してくれる。「馬ってつく土地は馬喰とか馬追とか、馬に関係ある人たちが住んだ場所だね」どうやら地理歴史好きらしい。そしてこの方も喋りだすと止まらない系。「住宅地に雨水管なんか通す時は、逆流しないようにしてね」「だいたいどんな管でも三パーセントの傾斜をつけるんだ」地下水道トリビアまで教えてくれた。

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国道4号線を離れて、住宅地のなかを歩いていたら道に迷った。それこそ江戸時代の旅人も通ったかと思うような、雑木林の中の舗装されていない道をぐねぐね歩き、ひょいと出たところは小山総合公園だった。公園を横切り、バイパスの橋の上から思川を眺める。いつのまにか日は傾き、川の中州あたりにサギが一羽、シルエットで佇んでいる。

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16時過ぎ、小山駅に着いた。江東区深川から約70キロ。福島市まで約170キロ。石巻まで約280キロ…先は長い! 東北めざして俺の細道は続くのであった。

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2013年11月6日(水)野木〜間々田

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8回目は11月6日(水)。東北本線野木駅で降りて歩き始める。空は高く、国道4号線沿いにはススキが揺れる。

Exif_JPEG_PICTURE赤い豆を干している農家があった。小豆だと思ったら「ささげ」だそうだ。小豆よりちょっと小粒かな。「おこわに入れるんだよ」と教えてくれた。

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栗園の前を通ると、実をとったあとのイガが積み上がっている。歩道に張り出した枝の上では、ザクロの実がはじけている。足元にはカリンが転がっていたりする。秋に実るものって多いなあ。

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そして何といっても柿! 道沿いの庭先やいたるところに柿の実がたわわに実っている。日差しを受けてつやつやと光り、あたりには甘い香りが漂っている。

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間々田駅前まで来ると、そのあたりの住所は小山市乙女。近くを流れるのは思川(おもいがわ)。まさに乙女チックだなあ。朝日屋本店という和菓子屋さんで「思川まんじゅう」を買う。さっそくほおばりながら道の反対側を見ると、なにやら立派な建物が。小山市立車屋美術館と小川家住宅。残念ながら美術館は展示をしていない時期だったが、小川家住宅を見学することに。

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玄関を入ると、ボランティアのおじさんが案内をしてくれる。小川家は江戸時代から肥料問屋を営んでいて、明治期に日光街道に引っ越したとか。その際、乙女河岸にあった建物の一部をそのまま移築したそうで。釘を使わない建築や和洋折衷の様式が珍しい。奥に進むとガラス戸の向こうには庭園が。ん?庭の景色が陽炎みたいにユラユラ見える…。実は手吹きガラスなので光が均一にならないらしい。こんなところも情緒を感じるなあ。

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2013年9月12日(木)古河〜野木

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古河の町を歩いていると、「岩井眼鏡店」というシンプルだけどオシャレな看板を見つけた。同じ建物の片方の入口が眼鏡屋さん、もうひとつの入口は雑貨屋さんになっている。眼鏡屋さんの奥から出て来たのはけっこうイケメンな店長さん。「祖父が眼鏡を作っていて、その型が残っていたんです。そのレプリカを100個限定で作りました」おじいちゃんデザインの眼鏡=カメジロウ・ブランドを復活させたわけだ。

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岩井眼鏡店のフリーペーパー「waiwai」も発行中。地元・古河の店を紹介していて、表紙モデルには毎回、身内やご親族がメガネ姿で登場している。手のひらサイズなんだけど、クオリティ高っ! デザインかわいっ! 何これ、フリーペーパー好きとしては見逃せないんですけどっ。

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そして、同じ建物のもう一軒のお店…雑貨屋「ザントマン」も同じく岩井店長の店。残念ながら休業日だったんだけど、窓からのぞくとカラフルなヨーロッパのオモチャや雑貨が並んでいて、眺めているだけで楽しくなってくる。実際に現地に行っては買い付けをしているらしい。ちなみに店長は『小さなバイキング ビッケ』のコレクター。ビッケの映画を観るためにドイツまで行ったんだって! あ、『ビッケ』知ってます? 原作はスウェーデンの児童文学で、アニメや実写映画にもなった名作! 子供のころテレビアニメ放送してたなー。いやあ懐かしい。

古河には古い建物が残る一方で、若い人たちを惹きつける空気もあるみたい。雑貨屋さんも増え、買い物目当てに東京から来るお客さんもいるとか。「こないだは西荻窪から来られたんですよ。西荻といえば雑貨屋激戦区じゃないですか。とうとう西荻から来てもらえるようになったか!って(笑)」日光街道全体を盛り上げようっていう動きもあるそうだ。「百年くらい時間が止まったような町。でも、東京などからすると懐かしさを感じてもらえるんでしょう」

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日が傾くころ野木町に入った。東京から66キロ、宇都宮まで41キロ、福島まで207キロ。まだまだ道は遠いが、この日は野木駅で終了。

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2013年9月12日(木)南栗橋〜古河

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国道4号線を進んでいくと、やがて利根川を渡る。流れは静かで、水面に晴れた空や雲まで映っている。看板には「海から129.5kmです」と表示されていた。橋を渡りきるとそこは茨城県古河市。3つ目の都道府県に突入である。

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そろそろお腹空いたなあと思っていたところに目に入ったのが「喫茶うつわ」。お重に入った定食もあるのか。よし、入ってみよう。店番をしてるのは店のお母さんひとり。栃木県那須方面から嫁いで来たんだとか。那須と比べるとこの辺りは山がなくて残念、という。「こっちの人が山って言ったら林なんだもの」。

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その後もふたりめのお孫さんが生まれたばかりとか、利根川にライギョがはねる場所があるとか、店では年に一度フラダンスの発表会をしているとか、四方山話に花が咲く。ほかに飲食店のなさそうなエリアだけに、ここに「うつわ」があってよかった!「日光街道を歩く人も立ち寄ってくれますね。江戸時代の旅装束で歩いてる大学生もいましたよ」

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「日光街道 古河宿」と書かれた灯籠を過ぎ、古河の市街地に入った。観光案内所でももジュースを飲んでひと休み。その近くにお茶の店「関善」があった。明治時代から続く店で、いま6代目だそうだ。壁には昔のモノクロ写真が飾ってある。2階か3階分くらい積み上がった大きな茶箱の前で、記念写真におさまる和装 の方々。時代を感じるなあ。

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店の棚にも茶箱がならんでいる。茶葉が湿気ないよう、箱にはトタンの内張がされているそうだ。ひとつひとつの箱に「関の露」「八十八夜」「老楽」…と銘柄が記してある。「老楽っていうのはお年寄りの好みっていう意味。老いらくの恋なんていうけどね(笑)」とご主人。「ここのおばあちゃんがまた、すごいひとだったのよ」常連さんらしき方が教えてくれる。地元に愛されてる店なんだなあ。お茶を買って、さてもう少し歩きますか。土産で重くなってきたリュックを担ぐと「大事?」と聞かれた。「大丈夫?」という意味らしい。大事、大事!

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2013年9月12日(木)南栗橋

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3週間後の9月12日(木)。7回目の細道紀行は南栗橋駅からスタート。駅には栗橋商工会のショーケースがあって、萌えキャラ「栗橋みなみ」ちゃんが迎えてくれる。が、今回は脇目もふらず栗橋大一劇場へ。

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正式名称は「ライブシアター栗橋」というのか、ほうほう。受付のポスターを見ると、開演が12時なのに、10時半には開場してるらしい。通常5000円で12時までに入ると4500円。「パンプレの日」というのが決まってるようなのだか、パンプレってなんだ?…受付で聞いたら「パンティプレゼント」のことでした。踊り子さんがパンティプレゼントしてくれるのね。知らないことだらけだ。入口付近に貼られた香盤表(プログラム)をしげしげ見ていたら、「香盤表は奥にもありますからねー」と注意されてしまった。

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客席にはいると、お客さんがすでに10~15名くらい。扇形のステージがあり、そのいちばん前のところに、中華テーブルみたいな回転盤がある。舞台袖のところにテレビモニターがあって、楽屋の様子が映っている。つまり踊り子さんの着替えや準備の様子が見られるというわけだ。なるほど、開演1時間半も前にお客さんが来ている理由はこれか。

そうこうしてるうちに場内アナウンスが入った。が、なに言ってるかわからん。滑舌の悪いロシア語に聞えるよ。さっきの受付の兄ちゃんが喋ってるんだろうな。

この日最初のステージは山口桃華さん。正直ちょっと、いやかなり感激した。笑顔が可愛い! 最初はドレスっぽい衣装で登場して、順に脱いでいくんだけど、ここぞというところで客席にウインクする。これにはやられた。しかも体が柔らかくてダンスにキレがある。音楽はSHAZNA、L’Arc-en-Ciel、LUNA SEA…と90年代ビジュアル系ヒット曲でまとめられているのにもニヤリとしてしまった。

客席もけっこう盛り上がってる。常連さんだろうか、両手に鈴を持ったおじさんがいて、曲にあわせてシャンシャン鳴らしてます。すごいな、肩にめっちゃ力入ってるよ。

いよいよ最後はすっぽんぽんになって、例の回転板のうえで「ご開帳」タイム。ヨガみたいなポーズの桃華さんを乗せて、回転板が回る。スピーカーからは河村隆一の歌が流れている。♪こ~こ~ろ~からぁ~…その甘い歌声のなか、彼女の大事な部分が正面にくると、客席から拍手が起こった。そういうルールなのね。最前列のおじさんの頭が、その瞬間だけぐいっと前に動くのがわかる。少しでも近くで見ようという気概が伝わってまいります。

ステージのあとは、桃華さんの写真プレゼントコーナー。デジカメで写真を撮らせてもらえる。せっかくなので私も撮らせてもらうことにした。1枚500円。撮りながら「東北まで歩いて行く途中なんですよ」と告げる。「わあ、がんばってください!」客席からも「がんばれよー」という声が飛ぶ。なんてアットホームな劇場なんだ。

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まだまだステージは続くけど、そろそろ行かねば。「このあとのお姉さんもいいよー」という常連さんの声に後ろ髪ひかれつつ、劇場を出た。桃華さんの写真は道中のお守りにしよう。劇場を出ると、駐車場の猫が「お前さん、ナニ浮かれてんだ」というような顔でこっちを見ていた。

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2013年8月24日(土)幸手〜南栗橋

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6回目の細道紀行は8月24日(土)。情け容赦ない猛暑のなか、ペットボトル片手に歩き出す。

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日光街道をしばらく行くと、ペットショップカトウという看板のわきに鳩の入った鳥カゴが並んでいる。奥には作業ズボンの兄ちゃんがひとり。あの、これレース鳩?「はい。1100キロは飛びますよ」本業はリフォーム屋さんなのだけど、鳩を扱いたくて始めた店だとか。「ベルギーで優秀な成績を納めたニューシャンデリー号の孫」と説明してもらうと、心なしか鳩の顔が賢そうに見えてくる。ほかにもインコやらシャモやらがいっぱい。「夜は全部のカゴを店の中に入れるから、足の踏み場もないです」と嬉しそうに言う。

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さて、昼飯どうしようと考えつつ先へと歩く。と、定食屋「しえる」発見。店主いわく「近くで農家やってて、米も野菜もそこで採れたもの」だって。これは期待。まず「これでもつまんでて」と出て来たのがチャーシューと餃子。付きだしというよりおかずである。なすピーマン味噌炒め定食は小鉢にかぼちゃがついている。さらに、さっき食べたチャーシューの皿に再びチャーシューが盛られて出て来た。「ご飯おかわりしてねー」ありがとうございます…でも既にけっこう満腹です。「うちは畑に砂が入ってるから、他のところより土がいい」んだそうです。「夜は飲み屋もやってるよ!」

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日光街道をさらに行くと、永文商店という古い酒屋さんがあった。樽に入った生酒を売っている。エプロンをかけた粋な姐さんに「飲んでみます?」と言われ、試飲させてもらと、おお。まろやか。ここの自慢は、店の奥に続くトロッコのレール。街道沿いのため店がタテに長く、酒瓶などを運ぶのにトロッコを使っていたんだそう。このレールを見学しにくる方もいるらしい。そのレールわきに、昔ながらほうろうの看板が無造作に置いてあるのもいい感じだなあ。

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ちょっと道をそれてみる。昔ながらの店構えの小林豆腐店。「消泡剤を使わずとうふを造っています」という張り紙もみえる。時計は14時過ぎ。父と息子らしきおふたりが、洗い物をはじめていた。豆腐買いたいけど旅の途中なので…と言い訳してたら「どうぞ」と冷や奴を出していただいた。しかも一丁。う、あの、さっき食べ過ぎててかなり腹苦しいんですけど…。しかし、さすが老舗の豆腐。ペロッと食べてしまった。凝固剤はにがりのみ使用だって。83年変わらないという優しい味。

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すっかりふくらんだ腹をさすりながら、炎天下を歩く。田んぼの緑が目にまぶしい。蝉の声が降ってくる。トタンの壁に木の影が黒々と落ちている。

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あれはイチジクだな。赤紫の実もなっている。公園では外回りのサラリーマンらしき人がひと休みしている。

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あからさまにピンク色の建物が見えて来た。屋根のところに「栗橋大一劇場」とでっかく書かれている。あ、ストリップ劇場か。駐車場で足の悪そうな猫がこっちを見ている。小屋の中に入ってみたいけど、お金がないや。よし、劇場は次回のお楽しみということにして、今日はここまでにしよう。

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お姉さんたちの写真が載ったポスターで公演予定をしっかりチェックして、南栗橋駅に向かった。

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2013年7月21日(日)杉戸〜幸手

国道4号線からすこし脇に入ってみる。家庭菜園で作業しているおじさんがいた。本業は会社勤めらしいけど、いつも帰宅してから畑仕事をするんだそうだ。植えてあるのは大豆、山芋、トマト、トウモロコシなどなど。けして広い畑ではないけど、どれも元気に伸びている。ずっと杉戸に住んでいるとのことで「40年前はアスファルトなんかなかった。ここも砂利道だったんだよ」と笑う。

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道沿いにはヒマワリ、アサガオ、サルスベリ、ダリア。夏の花は色が鮮やか。水田も濃いグリーンだ。

県立杉戸高校の前を通る。下校中の女子3人組に声をかけてみた。3人ともバレー部の2年生。今日は3年生が引退したあと初めての練習日だったとか。いきなり声かけたのは、さすがに不審に思われたみたい。あきらかに3人とも怪訝そうな顔してたし。ごめんなさい。『家族に乾杯』鶴瓶師匠の偉大さをあらためて感じたわ。

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ボウリング場のわきを通る。屋根の上には昔ながらのでっかいボウリングピン。野菜の無人販売所には「どれでも1個100円です」と張り紙。売り切れなのか、ゆずが一袋、玉ねぎが一袋だけしか置いてなかったけどね。

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公民館の前を通ると「投票所」の看板。晴れた空の下、公民館の駐車場には投票しに来た人たちの車が出入りしている。

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幸手駅前についたのはまだまだ明るい17時半。駅近くにピンクの壁のレコードショップがあった。入るとすぐ左手の棚に演歌のカセットがずらっと並ぶ。今どきチェーンじゃないレコード・CDショップも珍しいけど、カセットとは! ちょうどご夫婦らしきご年配客が店主に話しかけていた。「五木ひろしの新曲“○○”が入ったカセットはまだ出ていませんか?」「すみません…まだですねえ」なるほど、確かにカセットの需要があるらしい。

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興味をひかれて店主にきいてみると、この店「CAROL」は駅前で24年営業しているとか。店名の由来は永ちゃんのバンド、キャロル・キング、車の名前…「いろいろ想像できるからいいでしょ」とのこと。店主は歴史好きらしく、東北まで行くんですよ、と告げると「明治期にイザベラ・バードというイギリス人女性旅行家が東北を旅して、記録を残しているよ」と教えてくれた。偉大なる先輩ってわけか。読んでみよ…てなところでこの日は終了。

 

歩いていこう、東北まで。東京・深川から東北まで、徒歩で向かうプロジェクト。ゆるゆると進むMy long and winding road の記録。