2014年1月25日(金)新治

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車のなかで夜を過ごして、翌朝。1月25日(土)9時15分。多少アタマはうすらぼんやりしてますが、ともかくも新治駅のロータリーに立つ。ふと見るとすぐそばには、標語の書かれた看板が立っている。

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いや、これはいいんです。問題はその隣りにある、筑西市が掲出しているこの看板。

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「始めの一口 うすいかな? 食べてみればいい感じ」

なんなの? 何を啓蒙する標語なの? てゆうか標語なの? どっちかというとクックパッドの見出しみたい。というわけで謎の看板に見送られつつ、本日の細道スタート。

国道50号を行く。すぐに民家はまばらになって、田んぼが広がっている。閉店したまんまのファミレスがある。さらにその隣にはこんな看板も立っている。

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全然さりげなくない。

 

さらに行くと道沿いにこんな案内板を見つけた。

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即身仏(ミイラ仏)である。これはかなり気になる。2キロの寄り道になるが、行ってみよう。国道から折れて妙法寺へ行く道に入ると、目の前には上野沼という大きな沼が広がっている。

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水に浮かんでるのは…黒鳥だ。おお、これは珍しい。実際に見るのは初めてかも。某生命保険のCMで話題にはなってるけどね。池の柵のところにおばちゃんがひとりいて、黒鳥に餌をやってる。話をきいてみますか。

「こっちに二羽、あっちにも卵あたためてるのがいるよ。この子らは一年中いるねえ。カモは渡ってくるけど」

「がーこ、がーこ」と黒鳥に声をかけるおばちゃん。

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「ひなはピヨピヨって泣くけど、この子らはカホーカホーって鳴くねぇ」

「あっちのみんなにも餌あげなきゃ」と言いながら、餌を持って去っていくおばちゃん。毎日エサやってるのかしらん?

 

田園風景のなかしばらく歩き、ちょっと迷子になりつつもなんとか妙法寺に到着。本堂をのぞくと、けっこう若そうなご住職がいる。即身仏様を見たいのですが…と声をかけると、丁寧に案内してくれた。

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まずはご本尊にお参りする。即身仏様はご本尊の向かって右側、本堂のわきの方に安置されている。なんとなく緊張して、ミイラ仏を見る前にまずは目を閉じ、手を合わせる。ゆっくりと目を開けて顔をあげてみると、いらっしゃいました、ミイラ様。目の前に。座ったまま少し前のめりになり、眼球のない目でこちらを見ておられます。

「この即身仏様は舜義上人という方で、今から約300年前に78歳で人々を救いたいと石棺に入って入定されました」

入定の前には食事を絶たれたそうで。そうして石棺に入って3年後のこと、弟子の夢枕に舜義上人があらわれ言うことには「なぜ開けてくれぬのだ」。あわてて弟子が石棺を開けてみると、立派な即身仏になっていたとか。関東では唯一の即身仏らしい。もとは座禅姿で口も閉じていたが、長年のうちに歯が落ち口が開き、前のめりになってきたんだとか。

「霊能力のある方など、このお姿を見て『あたたかいものを感じる』とおっしゃる方もおられます」

それにしても当のご住職はどうなんだろう。この寺で育ったというけど、小さい頃はミイラ様が怖かったりしなかったですか?

「怖くはなかったですね。小さい頃から当たり前のものとして暮らしていましたから。それにここは1200年前からのお寺で、即身仏様だけが特別ということではないんです」

本尊の地蔵菩薩は1200年、阿弥陀如来像は800年、本堂は将門の乱のときに燃え落ちた…と聞けば、なるほど長い歴史ある寺なのだ。その歴史の長さを思うと、即身仏様もあたりまえにある、という住職の言葉は確かに腑に落ちる感じがする。

 

 

2014年1月24日(金)小山〜新治

ディープおやじの洋品店をあとにして、さらに行く。

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しばらくするとパン屋さんを発見。「国産小麦と自家製酵母のパンとお菓子 イイパン」こういうの、めっちゃ好物ですわ。考えるより先に足が店の中へとむかう。並んでるパンを眺めるだけで頬がゆるむ。くるみ入りパンとアップルパイを買う。

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県道264号線を東に向かっていると、今度は「べえかりい木馬」という茶色い看板が。またもやふらふらと店に入る。はたから見れば、ほとんど誘蛾灯に引き寄せられる虫である。なんとこの店は真っ黒いパンが! 竹炭を練り込んであるらしい。大丈夫か? 苦かったりしないのか? 「まっくろ黒助」という名のプチ竹炭パンを買って、さっそくかぶりついてみると…おお。なんかまろやかな味だ。

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黒いパンをかじりながら歩く。昭和電工の工場を過ぎてしばらくすると、家が少なくなってきた。道沿いには、閉店したまんま空き家で残っている店鋪が目につく。ステーキハウスも雑貨屋もレストランもパチンコ屋もガソリンスタンドも…。

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和談坂というところにやってきた。大きな石碑があり、その前で熱心に眺めてるおじいさんがいる。聞けば、この和談坂のいわれを記した碑らしい。曰く、ここは小山氏と結城氏の領地のちょうど真ん中にあたる場所。小山氏と結城が兄弟喧嘩した際に、ここで和睦したんだとか。

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「石碑、きれいになったねえ。誰かが掃除してくれたんだね」

俺に聞かせたのか独り言だったのかわからない調子で、おじいさんが言う。

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すこし日が傾きかけた頃、また住宅が多くなってきた。結城市の市街地に近づいたらしい。心なしか小山より新しいような、区画整理された町並。

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結城市の観光案内所で少し休んで、また歩き出す。空が高い。今日は最初の出会いが濃密だったけど、そのあとはあまり人としゃべってないなあ、などと考えながら。

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鬼怒川をわたる。このあたりから筑西市だ。遠くにぼんやりと見えている山は筑波山だろうか。学校帰りの高校生が自転車で追い抜いて行く。

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下館の駅に向かう途中で、本日3軒目のよさげなパン屋さんをみつけた。もう閉店まぎわであまり商品が残ってなかったけど、リュバンというパイ生地のサクサクしたパンを買う。それだけでちょっと幸せな気分になれるんだから俺も安上がりだ。

その先にあったのは、本日2軒目のマネキンのある洋品店。店のおばちゃんふたり揃ってカタコトの日本語で、ラメ入りのニセピカソみたいなを服着ている。そのふたりが教えてくれたところによると、ここのマネキンは日本製ではなく、年代物でもないらしい。まだ若いのね。ただちょっと、まつ毛が落ちそうなのが気になるわ。肌ツヤはいいけどね。

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日もすっかり暮れた。下館駅近くの「お食事処 華」でフライ定食にありつく。それからもう少しだけ歩いて、隣駅の新治までたどり着いたところで、この日は終了。で、電車で小山まで戻り、停めてあった車を下館まで移動。その日は駐車場でひと晩過ごした。「俺の細道」初のお泊まりである。

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2014年1月24日(金)小山

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前回の細道紀行から2ヶ月半。年が変わって2014年の1月である。8ヶ月前に東京を出発して東北を目指したはずなのに、まだ小山である。栃木県南部である。こりゃまずい。今年はペースを上げていくぞ!と新年の誓いを胸に、小山駅前まで車で到着。

そう、今回は電車ではなく高速道路でスタート地点まで来たのであった。歩く→東京に戻る→前回の続きからまた歩く…という方法も、そろそろ大変になってきた。なんとかせねばいかん。

それはそれとして、またいつものようにのらくら歩き出す。

この小山からは、元禄のスーパータッグ芭蕉&曽良のルートを外れて、国道50号線を東へ向かうことにした。JR水戸線に平行するように、水戸方面へ向かう道である。もちろん『奥の細道』どおり日光街道を北上してもよいのだけど、福島の沿岸部、いわゆる浜通りに行ってみたいと思ったのだ。

東日本大震災のあった2011年、7月に2回だけいわき市でボランティアを経験した。それが自分の震災ボランティア初体験だったのだけど。そのとき、被災した家の片付けなどをしたのが常磐線の久ノ浜駅、末続駅の近く。あの場所をもう一度訪れてみたい。そのためにはまず太平洋岸に出ないと行けない。

とはいえ、まずは目の前の道だ。小山駅前の目抜き通りを歩く。大きな交差点があり、さて、どっちに行けばいいのやらと思いつつウロウロしていたら、すぐ近くの洋品店のショーウィンドウに釘付けになってしまった。マネキンだ。しかもかなりの年代物らしい。目はパッチリ、まつ毛もバッチリ。鼻がちょっと欠けてる。こういうリアル指向のマネキンって、近頃とんとお目にかからなくなったよなあ。

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店内をのぞくと、おじさんがひとり、椅子にどっかと腰かけて新聞を広げてる。

「すみません、マネキンの写真、撮ってもいいですか?」

おそるおそる声をかけてみたら、快諾してくれた。

「マネキン? 40年くらい使ってるよ。奥にもう一体ある」

と言いながら、もう一体を運んで来てくれて、写真を撮りやすいように置いてくれる。もともと4体あったらしい。かつてマネキンはレンタルするものだったそうで、4体で月7万。それを最後は買い取ったのだけど、2体は学校に寄付したんだとか。

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「芸大だか何だかの女の子が、マネキンを絵に描きにきたこと もあるよ」

確かに、この年季の入ったマネキンは妙にそそられる。絵にしたくなるのもわかる気がする。店内を見回すと、ほかにも年代物らしきテレビやクーラーが置いてある。

「あのテレビはカラーテレビ第1号。二十数万したんだ。月給8000円の時代だよ」

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この店「オヤマ信販」が開店したのが昭和35年というから、まさに日本のカラー本放送開始の年だ。そりゃすごい。さてはおじさん、新しもの好きですな?

「こっちクーラーはGE。80万したね」

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年季の入った昭和家電がかなりご自慢の様子。おじさんかなりノって来たらしく、いつのまにか自分の生い立ちを語りはじめた。いわゆる「昔は俺もワルだった」って話なんだけど。

「とにかく喧嘩ばかりしてたね。売ったことはない、買うばっかりで。連れがカラまれたりしてね」

ボクサーを目指し、16歳のとき後楽園に行ってプロ試験を受けた。絶対に受かると思っていた。ところが別の部屋に呼ばれ、医者から「ボクシングをやめなさい」と告げられた。心臓肥大だから駄目だ、と。

「小さい時に川で潜りすぎたのがよくなかった。あんときは泣いたよね」

タバコに火をつけながら語るおじさん。こりゃ長くなりそうだ。

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その後、親に言われて自衛隊に入隊。2年ほどのち、21歳で大手アルミニウムメーカーに就職。

「21歳で人生始まったよ」

おじさん、実はかなりのアイデアマンだったらしい。そのアルミ会社の工場で、特許とれるアイデアを3つも考えた。ところが自分のアイデアがいつも上司の手柄にされてしまう。

「3回目にとうとう頭にきて、上司の家に殴り込みに行ったらクビになった。会社のクビ第一号だよ(笑)」

その「殴り込み」に行ったという話なんだけど、ちょっとマジ過ぎて全部は書けねえっす。他にもいわゆる武勇伝が出てくるわ出てくるわ。とにかくそれで工場勤めを辞め、そのあとに勤めたのがこの小山信販というわけ。さすがに今は温和な印象だけど…。たばこをくゆらす姿がやたらと様になっているのは、人生の厚みってヤツっすかねえ。濃厚なオヤジの濃厚な半生をたっぷり小一時間ほど聞いてしまった。

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今回の道行きは、のっけからかなりディープだ。