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震災4年目宣言

 

今日2015年3月11日14:46、
震災から4年が経過し5年目を迎えました。
亡くなられた方、被害に遭われた方全ての方のご冥福をお祈り申し上げます。

いつからでしょうか。刻々と変化する被災地の現場では、「復旧」のフェーズが一段落し、まちの風景も少しずつ変化していきました。高く積まれた瓦礫の山はいつしか姿を消し、鉄骨がむき出しの建物は土台になり、いつしかさら地になっていました。私たちが集中していた災害ボランティアも、まちの風景と共にそのニーズは次第に終息していくように感じられました。実際の現場において、私たちはボランティアのニーズが多様化し、それらがとても見えにくいものになっていることを実感しました。私たちが当初に掲げた「はじめての学生を被災地に」という合言葉は、その先のステップを見据えなければいけない段階に入っていることを意味しました。
これが3年目から4年目の最大の変化なのだと感じています。

しかし、私たちは活動を始めて3年を迎えようとする今、数多くの地域で、地域や立場を超えて本当にたくさんの人々とつながってきました。累積する課題や、被災地という大きな括りのなかで、私たちはどこに焦点をあてて取り組んでいくべきか明確にすべきだと考えています。
「津波にあって、家は全部流されたけど家族の生活があり、店があり。君たちならこういう状況でどうする?どうにかしないといけない状況で、必要に応じて変化しなければいけない。」と南三陸の店主が言ったように、今必要なのは、単なる「人手」ではなく考える個人であり、行動し続ける繋がりであると考えています。
場所軸・時間軸・テーマ軸、様々な捉え方があります。震災から4年。必要とされていることは山積しているにもかかわらず、それらは非常に複雑化しています。3年目の田代ジャパンは、被災地の動向に寄り添いながら次のステップに進みます。

11/21(金)東京発 南相馬・いわき行き

南相馬市・いわき市

11/21〜23
初めて記事を書かせていただきます、佐伯です。
今回上記の期間で田代ジャパンとして、福島県南相馬市・いわき市でのボランティア活動に参加させていただきました。
ボランティア活動自体初参加だったのですが、私以外の皆さんが経験者ということもあり、変に緊張したり不安になったりすることもなく、皆さんのおかげでとても有意義な3日間を過ごすことができました。
活動について、というよりは私自身が感じたり思ったことについて書かせていただこうと思います。

私は福島県に特別な思いがあったわけでも、被災時その場にいたわけでもありません。
それでもこの活動に参加したいと思ったのは、誰かのために何かをしたいという気持ちと、当時仙台にいた友人に何もしてあげられなかった罪悪感、そして不謹慎かもしれませんが、純粋に現地は今どうなっているのかというのを知りたいという好奇心があったからだと思います。
今回ご一緒させていただいて、現地に足を踏み入れ実際に自らの目で物事を見ることで、知らなかった被災地の現状を色々と知る事ができました。

正直、私はこの活動に参加させていただく前までは、復興がもっと進んでいるものと考えていました。
現に「ボランティア活動に参加してきます」という旨を周囲の人に伝えたところ、『なぜ今更そんなところへ?もうほとんど復興は終わっているんじゃないのか?』と言われたりもしました。
私もそう思っていたのは事実で、まだ完全には終わっていないにしても、被災者の方々の生活はそれなりに取り戻せているものだと勝手に思い込んでいました。

しかし、実際はまったく異なっていました。

制限された区域、被災した当時の状態を維持したままの場所、人気のなくなってしまった家屋、そして被災された方々が暮らしている仮設住宅が、今もなお残されていました。
それらを見た時、自分は本当に何も知らなかったのだということを思い知らされました。
まだまだやれること、そしてやるべきことがたくさんあるのだということを痛感しました。

現地での活動は、主に農業に関わることでした。
南相馬市では事業再開の為のビニールハウスの片付けのお手伝いを、いわき市ではオーガニックコットンの摘み取りのお手伝いをさせていただきました。
屈みながらする作業が多く、普段身体を動かさないだけに節々が痛くなりましたが、全身を使って作業をすることはとても気持ちの良いことに思えました。
また作業の合間にお話を聞いていく中で、どちらの農家の方々もとても前向きに今後のことを考えていらっしゃっていて、震災に負けないという強い意思を感じました。
その一方でやはり風評被害のことを気にされていることが伺える場面もあり、なんとも言えない気持ちになることもありました。

しかしそんな中でも共通して言えることは、やはり人との繋がりを大切にされているということ。
『私たち家族だけではここまでできなかった』、『こうやって色々な方々と出会えることが嬉しい』、そんな言葉を聞いた時、本当にこの活動に参加できてよかったと思いました。
それだけで疲れは吹き飛びましたし、人の温かさや優しい気持ちを真っ直ぐに感じることができました。

また活動後の反省会でも、私は参加して良かったと思うことがありました。
今回一緒に活動された皆さんから色々なお話を聞く事ができたことです。
今までボランティア活動をされてきた中で、どんなことを考えたり、何を思ったりしたのか、また震災当時何をしていたのか等、様々なお話を聞く事ができました。
中でも私が特に印象に残ったお話は、「人との距離感」についてでした。
被災者の方々に共感しすぎない、近い存在になりすぎない、期待させすぎるのは良くない。
普段人の為に色々と頑張り過ぎてしまう自分にとっては耳の痛い話でした。
自分に出来ることもあれば、当然出来ないこともある。
その線引きを上手にして、他人と付き合っていくことが自分には必要だなと考えさせられました。

本当にこの3日間は人として色々と考えたり、思ったり、学ぶ事の多い濃い時間でした。
心から今回の活動に参加することができて良かったと思います。
今回初参加させていただきましたが、また機会があれば次回も是非参加させていただきたいです。

まだまだ被災地には課題がたくさん残されています。
そして私たちが費やす事の出来る時間は限られています。
けれど、私たちに出来る事はたくさんあります。
少しずつかもしれませんが、微力ながら手助けになっていけたらいい、今はそう思っています。

1121田代ジャパン_集合写真

文章:佐伯亜美(大学院1年生)
写真:田代直樹

【ツアーについて】
●日時:11/21(金)23:30~11/23(日)21:00〔1泊3日〕
●行先:福島県南相馬市・いわき市
●人数:9名
●活動:
11/22(土)09:00~16:00 南相馬ボランティア活動センター(小高区)
-ハウス内の草刈・ポットと土の分別作業・清掃
11/23(日)10:00~14:30 ふくしまオーガニックコットンプロジェクト(いわきおてんとSUN企業組合)
-綿花の収穫
●宿泊:農家民宿 森のふるさと(南相馬)
●詳細:
21日金曜の夜、日産レンタカーを出発し兼任ドライバー3名体制で南相馬へ。今年9月に6号線が開通したが、二本松を経由し迂回して北上。朝6:00頃道の駅南相馬に到着。仮眠・着替えののちコンビニで朝食、昼食の調達をしボランティアセンターへ。1日目の作業内容は、花を栽培していた農家さんの事業再開にむけてのハウス内の片づけ。
土の入ったポットが散らばって地面を覆い尽くすほどのところ、午前はポットと土を分別する作業。1つ目のハウスが終わり、午後はほぼ手つかずのハウスへ。生い茂る雑草や蔓を切って運びだし、更にそのしたのポットの分別作業。
1日で終わったのはハウス2棟分だったが、依頼主のご家族の方々といっしょになって黙々と作業し継続案件のところ完了した。
作業報告をし、資材を片づけボランティアセンターを出発。
「原町ユッサ」で入浴し、宿泊先の「森のふるさと」へ。手作りのお料理をたくさんいただいて、その日は就寝。
2日目は早朝に宿泊先を出発し、常磐小野を経由していわき市へ南下。
担当者の方と合流し、活動場所の綿花畑へ。畑の持ち主のかたといっしょに綿花を収穫した。
お昼はご自宅におじゃまし、もちよったものと温かいお味噌汁を頂き休憩。午後も収穫をつづけ、12名で13㎏の綿を収穫した。
活動を切り上げ、道の駅四倉で着替え等済まし帰路へ。
三連休中日ということで、渋滞を乗り越え21:00頃無事日産レンタカーに到着した。

牛タンつくね2014

こんにちは。田代ジャパンの難波です。
2014年8月23日、24日にダイシン百貨店において山王夏祭りが開催され、そこで大森の石巻マルシェの皆さんが出店されました。今回の出店では石巻の「ヤマサコウショウ」様の牛タンつくね串を焼いて販売しました。
そこで、私たち田代ジャパンもお手伝いさせていただきました。田代ジャパンではのべ5名参加していただきました。
両日とも13時から祭りが開始しました。のべ2万人を動員すると聞いてはいましたが、それは事実で、沢山のお客様においしい牛タンつくねをお届けする事ができました。一日目はとくに21時まで終始、人であふれていました。二日目は日曜日という事もあり20時過ぎくらいの花火が終わってからはがらりと空きました。

私たちは、牛タンつくねをホットプレートで調理と売り子をしました。大変盛り上がっていて声を限りに牛タンつくねをアピールしました。ビールにあう、手軽に食べられるといった諸要素と元気な売り子さんとが組み合わさり大盛況でした。
一日目の途中からつくタンも駆けつけてくれ子供の心をわしずかみにしていました。IMG_2203
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今回は東京で石巻に関わらせていただきました。このように東京で東北に関わらせていただけるのは本当にうれしいことです。牛タンつくねはおいしいので是非食べてほしいと思います。

これはあくまでも参考ですが、筋肉は2人いても、一人の着物美女の販売力にはかなわない事実が今回の販売実績から明らかとなりました。

【活動報告】20140906 臨時 丹波市行き

9/6,7
8月に土砂災害を被った丹波市で、復旧支援活動をしてきました。
田代ジャパンとして、大阪府立大学の方と共に活動しました。
豆知識ですが、丹波市といえば大納言小豆です。

一日目は道路や倉庫内の土砂を除く作業をしました。大きめの石が混じった固い土だったので難しかったです。
二日目の午前は庭に入り込んだ土砂の除去作業、午後は民家の床下清掃を行いました。
床下の清掃は初めてでしたが、水害ボランティアのベテランの方も床下に入るということで安心して取り組むことができました。

しかし、床下は狭く、不安になりました。入り口は「ここから入るの?」と思うくらい小さい穴で、第五匍匐でその穴をくぐると、ヘッドライトで照らされたその穴の中に厚さ1センチ程度の泥が広がっていました。
ゆるいペースト状の泥をワイパーのようなものでひたすら押し流す作業を3人で行い、とりあえず床下の泥を出すことができました。
もし次も床下の清掃をすることがあれば、まず最深部に入り、端から中央へ流していくことで、より効率的に作業を進められるようにしたいです。

0907活動写真

文章:三浦望(大学4年生)

【活動概要】
日時:9/6(土)-9/7(日)9:00~15:00
場所:兵庫県丹波市
受入:丹波市災害ボランティアセンター
協力:大阪府立大学 V-station
人数:6名(6日)・5名(7日)
内容:家屋の泥出し・洗浄、床下の泥出し
概要:
8月16日の豪雨によって大きな被害を受けた兵庫県の丹波市での活動。
丹波出身の学生主導で、2日間の活動に参加した。
ボランティアセンターから活動場所までの移動中、山の木々の間に
できた土砂崩れの跡とその麓の家屋が押しつぶされている状況を
度々目にした。
丹波市はとても広く、活動場所までもバスで15~20分ほどかかった。
どの方向にも山々が連なり、ところどころに見える土砂崩れの跡、
木々がなぎ倒され建物が潰された様子は傷ましく、作業範囲も広く
及ぶのではないかと思わざるを得ないほどであった。

1日目は、豪雨によって土砂崩れの起きた地域で午前は道路の泥かき
午後は倉庫の泥出し作業であった。
バス4台分のボランティアが集中的に派遣されたその地域では
何名かのボランティアリーダー主導のもとスコップで泥を書き出す人
土のうを運ぶ人とで溢れていた。
1日かけて大勢のボランティアがやっとかき出した泥や流出物は高く山に
なるほどであった。

2日目は2班体制となり、片方は家屋の洗浄・片方は家財の運び出しを、
午後に合流し床下の泥出しを行った。
依頼主の方は、ご高齢の女性で一人で住まわれているようだった。
心配そうに作業を見守っては、必要なものを貸して下さったりと
終始気を揉まれているような様子であった。
連日作業に参加している今回のリーダーの学生によると、
被災し、ボランティアセンターに依頼をされるのはご高齢の方が多く
しかしボランティアが入るという慣れない環境に疲労し
業者にやってもらうからと遠慮してしまう方が少なくないという。
また、自治体の区長さんがニーズを掘り出すのに苦心しながらも
なかなか集まらないという状況に加えて、ボランティアが入ったところと
そうでないところの格差による問題もあるとのことだった。

当初9月6日に閉鎖予定であったボランティアセンターは16日まで
受け入れ期間を延長し、現在でも「復興支援センター」と名前を変え
ボランティアの受け入れを継続している。
当初足りていたボランティアも、今度はニーズが増える一方で逆に
ボランティア不足という状況に陥っているとの情報もある。

再び足を運び、日常生活への復活に何かお力添えすることができればと感じる。

【活動報告】20140815 東京発 田代ジャパン陸前高田行きボランティアバス

「ボランティアに参加して本当に良かった」。
被災地復興のボランティア参加者から、こんな言葉をたびたび耳にする。
ボランティアの作業自体は容易でないことが多いにも関わらず、何故こうした言葉が参加者から出てくるのであろうか。

私にとっては、三回目の参加であった。今回の作業の目的は、陸前高田市での側溝整理と遺留品捜索活動を行うことであった。側溝のふたがあるところも多く、まず重機を使いながらそれらを外す。その後スコップを使いながら、中の土を道に掘り出していくのだが、側溝のふたや大きな瓦礫などが埋まっている為、それらを取り除きながらの作業はなかなかスムーズには進まない。被災した時に流れ出たであろう油を含む土の中から熊手で遺留品を探すなど、困難な作業も多かった。

ラジオ体操

 

(活動前のラジオ体操)

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(活動場所・内容についての指示を受ける)

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(必要な道具を運ぶ)

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(現場で活動の手順や諸注意の説明)

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(掘り出した泥土の中をクマデで丁寧に捜索する)

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(開けたフタは重機や機械を使って閉める)

それでも、このボランティア活動に参加して本当に良かったと、私も心から思っている。今回、特に心に残ったことは、「避難所について本当に知っているか?」という、被災地の語り部さんのお話であった。「あなたは避難所の場所を知っていますか。その避難所は、本当に安全ですか」「その避難所にある、備蓄の内容、量を知っていますか」「避難所の設備を本当に把握していますか」語り部さんの、ひとつひとつの言葉が心に刺さった。私は自分自身の避難所の場所は知っていたが、それ以上のことは全く知らなかった。これらのことの把握が重要ということを知っただけでも、私にとってはボランティアに参加させていただいた意味が十分にあった。

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(2日目・語り部の釘子さんに陸前高田市内を案内して頂く)

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(陸前高田インフォメーションセンターにて)

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(最後は高台へ)

「どうか、同じことを繰り返さないでほしい」「そのためにも、避難所を孤立しない、安全な場所に作れるような社会を作ってほしい」という被災地の方々の願いが、心に響いた。そして現地の方々からは、「被災地に足を踏み入れ、私達のことを知ってもらえるだけで嬉しい」と仰って頂ける。

田代ジャパンの活動は、特定の場所や人と繋がっているものではなく、様々な地域にあるボランティア活動のニーズに応えていくものである。今後も、継続的に活動に参加することで、被災地の方々の声を聞き、その声を自分の周りの人々にも伝えてゆくことが出来れば幸いである。

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文章:加藤 沙織(大学1年生)
撮影:佐藤 勇馬・高橋 紀之

【活動概要】
日時:8/15(土)9:00~15:00
場所:岩手県陸前高田市気仙
受入:NPO法人 P@CT
人数:16名
内容:側溝の遺留品捜索
概要:かさ上げ間近の気仙における側溝捜索活動ということで重機も導入され、急ピッチで作業が進められた。

他地域で行われていたものと同様の作業手順を採用し、経験者も多数いたことから進捗がかなり早かったように感じた。ご遺骨の発見には至らなかったが、遺留品が多数発掘されるなど、震災から3年以上経った今も手付かずのまま残っていた側溝の中の確認作業ができたという風に感じた。

 

 

【活動報告】20140720 南陽市行き

 7月20日の日曜日、私たち4人は山形県南陽市を訪れた。7月9日に同市で発生した集中豪雨による土砂災害のボランティアを行う為である。ニュースによると同市を流れる吉野川が集中豪雨に伴う水位上昇により氾濫、1200戸が床下浸水の被害に遭ったという。

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(7.9南陽市豪雨災害ボランティアセンター入口)

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(氾濫した吉野川)

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(通行止めの橋)

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(マッチングの様子)

 私たちの作業は、大量の土砂をスコップで掘り出し、土のう袋に詰める事で土砂を片付けるというものである。午前中は家庭菜園、午後は川沿いに位置する集落を対象に作業を行った。

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 災害からまだ日数が経っていないので、土砂は水分を含んでいて重い。その為、スコップで掘り出すのは容易ではない。加えて、土のう袋に土砂を詰めた後はそれを運ばなくてはならない。これも当然重たい。私がこれまで従事してきたボランティアは災害からある程度の日数が経っているもので、今回のような災害直後のそれは私にとって初めての経験であった。ゆえに、これら一連の作業はいつも以上に過酷であった。私の周りは経験を積まれた方が多く見受けられ、黙々と作業をこなしている姿に私は尊敬の念さえ抱いた。

 とりわけ印象的だったのが午後の作業である。現場は吉野川の堤防を越えたところに位置する集落で、住宅の納屋は勿論、母屋に至るまで土砂流入の被害に遭っていた。私たちは土砂だけでなく、土砂に混じっている様々なゴミや家具の運び出しを、時にその家の住民の方と一緒に行った。土砂にまみれた家具はもう使えないので基本的に捨てるしかないそうだ。一箇所に集められた沢山の家具を見て、私はやるせない気持ちになった。
 この日に集まった全体数は約380人だったそうだ。私たちはこの日に帰宅したが、3連休だった事もあり中には月曜日も作業をするという方もいらっしゃった。一日でも早く作業に目途がつき、被害に遭われた方々の生活が少しでも楽になるよう祈るばかりだ。

 何人かのボランティアの方も仰っていたが、今後自然災害はますます増えるものと思われる。地震は勿論、異常気象の影響からか、ここ数年にわかに増えている集中豪雨や土砂災害など、日本全域でそのリスクを孕んでいると言えよう。また今回訪れた南陽市に至っては、昨年度も今回と同様の被害に遭っている。このような状況下で必要なのは、いかなる地域で災害が起きた場合でも、迅速に現地へ駆けつけボランティア作業をする事なのではないだろうか。その意味でも、一人でも多くの学生や社会人がボランティアに行く事こそが大切なのだと私は実感した。

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文章:大石淳
撮影:佐藤勇馬

【活動概要】
日時:7/20(日)9:00~15:00
場所:山形県南陽市赤湯地区
受入:7.9南陽市豪雨災害ボランティアセンター
人数:3名(+現地で他7名と合流)
内容:①民家の庭の泥出し②民家の納屋の泥出し、庭の泥出し
概要:
7/20(土)AM1:30専任ドライバー1名体制で南陽市へ。20日早朝、赤湯地区へ到着。
共同浴場「とわ」で入浴ののち朝食をとり、赤湯地区を視察。氾濫した吉野川周辺を車で徘徊。
川は濁り、土砂や流木などが大量に堆積している場所も見受けられた。川に渡る橋は一時的に通行止めに。
川沿いの民家の外壁には浸水したような茶色い跡が。
街中には道路脇に土嚢が多数並んでおり、コンクリートの道路にも泥をかいたような跡もあった。
9:00前にボラセンで受付を済ませ現地で他7名のグループと合流、マッチングを受け、必要な資材を持ち現場へ。
1件目は、民家の庭の泥出し。もともと家庭菜園をされていたという庭は、泥がかぶり一層高くなっていた。
堆積した泥を、庭が平らになるところまで堀り土嚢に詰める。大きなパイプや木の破片とアルミ缶などのゴミが多数出てきた。依頼主の方も時折様子を見に来られながら、指示を受けつつ作業をすすめた。午前中いっぱいで、泥をある程度掻き出し、草を少し刈って掃除し1件目が終了した。
昼食休憩を挟んで、午後は次の現場へ。午前に使った資材を洗浄・片付けするチームと次の現場に向かうチームで分かれ、後ほど合流した。2件目の現場は川沿いの集落のようなところ。一帯的に大きな被害を受けたようで、既に午前から作業していた約80名ものボランティアでも足りないような状況だった。高く積まれた土嚢やガレキの量には驚きざるを得ないほどであった。
現場で活動の振り分けをするリーダーの指示に従い、民家の納屋の泥出しをすることに。依頼主の方もご在宅で、母家の片付けをされていた。人一人分の幅の納屋には泥が高く堆積し、収納されていたものも巻き込まれ足場がないほどであった。ときどき、依頼主の方に処分しても良いものかを確認しながら作業を進めた。泥にまみれた大半は、捨ててくださいという指示のもとガレキの集積場所に運んだ。気温も高く、加えて納屋には熱気がこもり、体力の削られる中での作業だった。
午後は継続案件を残したまま終了。1日の活動が終了した。
ボラセンへ徒歩で戻り、資材の洗浄・片付けを。傍らでボランティアセンターからスイカが振舞われた。
現地で合流した7名と解散し、16:00前に出発、赤湯温泉に入浴ののち帰途へついた。22:00頃無事東京に到着・解散した。

※追記※
・写真は活動先のお宅の方に許可を頂いて撮影したものです。